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2012年05月26日

広瀬大分県知事を表敬訪問



過日大分県庁に広瀬大分県知事を表敬訪問しました。黒田24騎のうち有名な黒田官兵衛(如水)、黒田長政、後藤又兵衛、母里太兵衛(民謡黒田節のモデル)栗山利安の甲冑姿に初代中津城主黒田官兵衛(如水)をNHK大河ドラマへと全面的にバックアップしましょう。との力強いお言葉を戴きました。  

Posted by 豊前国中津黒田武士顕彰会 at 08:44Comments(0)

2012年05月22日

黒田官兵衛(如水)墓碑


福岡市千代町にある崇福寺の墓地にあります黒田官兵衛(如水)の墓碑です。その大きさ荘厳さに圧倒されました。  

Posted by 豊前国中津黒田武士顕彰会 at 22:24Comments(0)

2012年05月19日

黒田官兵衛(如水)命日供養



先日黒田官兵衛(如水)公の命日の法要が黒田家の菩提寺である福岡市千代町の崇福寺にて行われたので豊前国中津黒田武士顕彰会一同もお参りしてきました。
生誕地の姫路市から50名、地元福岡から100名を越す黒田家ゆかりの方々がお見えになっており、東京から黒田家第16代ご当主黒田長高様、藤香会(旧黒田家家臣やゆかりの方々の会)会長の前副総理山崎拓氏を初め各界の方々がずらりと参列していましたがとても厳かな中に法要が執り行われました。
その後、皆さんで寺院の墓地にてお墓参りをしてきましたが流石に52万石の太守の墓だけあって荘厳さ、優雅さに感嘆の声があがっていました。  

Posted by 豊前国中津黒田武士顕彰会 at 19:03Comments(0)

2012年05月17日

黒田官兵衛(如水)の築いた石垣



中津城の北側に黒田官兵衛(如水)の築いた穴太(あのう)積みの石垣が残っており、近江の穴太衆といわれる石垣造りの職人衆により築かれました。この黒田の石垣は中世戦国時代の九州最古の穴太積石垣と言われています。写真は右上から左下へ斜めに築かれている右側が黒田の石垣で、左側は黒田家が筑前福岡52万石へ転封していった後に城主となった細川忠興の築いた石垣です。穴太衆の築いた美しく、堅牢な穴太積石垣の様子がよくわかります。  

Posted by 豊前国中津黒田武士顕彰会 at 11:23Comments(0)

2012年05月11日

NHK大分放送局へ表敬訪問



先日、NHK大分放送局へ表敬訪問し黒田官兵衛を大河ドラマへと豊前国中津黒田武士顕彰会は黒田24騎の甲冑を纏い熱い思いを伝えました。
お迎えしていただいた早見局長は地元大分県出身で今まで大河ドラマの舞台になっていないのは全国でも大分県と秋田県の2県だけです。協力しますので大いに頑張ってください。ただしNHKとしては地元の盛り上がりがとても大事なのですよとエールを戴きました。心強いことです。
中津市民が大いに盛り上がり大河ドラマになれば中津の知名度は全国区になり何よりも経済効果たるや計り知れません。
JR、飲食、宿泊、お土産、タクシーや地元の名産品などの関係者の皆さん、先の大河ドラマ「龍馬伝」の高知や長崎のように大フィーバーしそうな予感がします。今から誘致に向けて力を合わせて行きましょう。
姫路市や福岡市など黒田家ゆかりの都市は大いに燃えていますよ!中津も負けてはいられません。  

Posted by 豊前国中津黒田武士顕彰会 at 11:50Comments(0)

2012年05月06日

大河ドラマへいざ出陣!



日の出町商店街のポールにずら~と「初代中津城主・黒田官兵衛を大河ドラマへ」の幟旗が掲げられています。皆さんのおかげで大河ドラマ実現まであと少しというところまで来ています。姫路や福岡は大いに燃えています。
黒田家が最も強かったのは中津藩の時代でした。豊臣秀吉の朝鮮出兵で有名な文禄の役、慶長の役もここ中津の地から出兵して行きました。もちろん天下分け目の「関が原の合戦」のときも黒田家は中津から6千の精鋭を出兵させ徳川家康とともに西軍と戦い大手柄を立てその論功行賞で筑前福岡52万石の大大名になり移封して行きました。  

Posted by 豊前国中津黒田武士顕彰会 at 14:45Comments(0)

2012年05月02日

福岡より黒田家ゆかりの里中津に来訪



福岡より黒田家ゆかりの地を訪ねてご一行様が中津へお見えになり豊前国中津黒田武士顕彰会の皆さんで大歓迎し中津の黒田家ゆかりの史跡を案内しました。ご一行は福岡から高速道を日田で降り「一つ戸城址」、「平田城址」、「後藤又兵衛の墓」と巡り中津へ。福沢旧居前で記念撮影。中津城「黒田の石垣」や中津のゆかりの史跡をご案内し帰路につかれました。精いっぱいご歓待しましたのでとても喜んでくださいました。また中津へ来たいと皆さん仰って下さったのが何より嬉しく思いました。少しでも中津の宣伝になったのなら嬉しい限りです。  

Posted by 豊前国中津黒田武士顕彰会 at 19:55Comments(0)